漂う随想

心に遷り行く物事をこっそり書き留める。

(5)”人を呪わば穴二つ”というが、用意する穴は一つでよい

 「人を呪わば穴二つ」

 そんな諺(ことわざ)がある。その意味はよく知られているとおり。しかし、二つ掘った穴のうち、実際に使われるのは二つめの穴だけだ。

 崇徳上皇平将門の時代にも、呪詛が実在していたかどうか、私はしらない。しかし、現代において真剣に呪いの存在を信じる人は、かなり少ないだろうと思う。何かの偶然で、あたかも呪詛が成就したかのような事実が起きてしまうこともあるかもしれない。しかし、呪詛とその事実との間に因果関係を認める人は、今の時代、果たして何人いるだろう。だから、一つ目の穴はずっと空っぽのままだ。

 しかし、二つ目の穴には、確実に埋められるものがある。

 

 ある人がいた。その人は情念に抗う術(すべ)を知らない無垢な魂の持ち主で、いわば情念の奴隷だった。ある夜、その人の心に溢れ出てきた孤独と不安の情念は、自身が気付けぬうちに、その人の心を完全に支配した。そしてその人の住む世界の中で、友愛は侮辱に変わり、労(いたわ)りは蔑(さげす)みに変わった。全てはその情念のもとに、改めて解釈され意味づけられた。こうしてその人の心の中でその人の住む世界の色がすっかり変わり果てたとき、灰色の世界から赤く強い怒りの情念が燃え上がった。

 新しい世界の中では、支えてくれた友は盗人となり、愛してくれた人は裏切り者となった。その人は彼らを心の底から恨み、呪った。新しい世界の中で正当たるべき裁きが彼らに下されることを願った。差し伸べられた手には、鋭い爪が光っていた。少なくともその人にはそう見えた。そしてその手を打ち払い、渾身の醜い言葉でその手を罵り遠ざけると、新しい灰色の世界の赤い炎に救いを求めた。決して外からは理解されない、自分だけに見える、偽りの救いを。

 

 こうして、その人の精神と人生は、二つめの穴に埋められた。いや、自らその穴に投じたと言ってもよい。もちろん、一つめの穴は今でも空っぽのままだ。

 

 

2022年1月21日