漂う随想

心に遷り行く物事をこっそり書き留める。

(9)愚痴は自分の人生を不幸で飾り付ける

 親戚付き合いというのもは、洋の東西を問わず悩み事の種となるらしい。

 その人は私の義理の親戚だ。仮に「甲氏」としておく。まだ年金をもらうには少々早い年齢である。甲氏はこれまでいくつかの職を経験してきており、現在は某公共機関でパートタイム職員として働いている。

 そんな甲氏との親戚付き合いが始まってすぐに、私はあることに気が付いた。甲氏の話には、職場の同僚や友人たち、近所の住民に関する愚痴が非常に多いのだ。

「あの上司は、出勤してきても何もせず、就業時間までボーッとしている。それなのに、正規職員だから給料も多いしボーナスも出る。不公平だ。」

「あの客は、日曜日となれば小さな子どもを家に残して夫婦でパチンコ三昧らしい。子どもが可哀そうだ。親としての良識を疑う。」

「向かいの家で一人暮らししている奥さんは、何かあると窓からうちの方を見ている。ちょっと性格がおかしいのではないか。精神病なのではないか。」

「近所の旦那さんは最近は認知症なのか、変なことを言うようになった。あんな人が狩猟免許を持っていて猟銃を所持しているのは恐ろしい。なぜ警察は猟銃を取り上げないのか。」

 本当かどうだか全く確証のない話が2時間も3時間も続く。同じ話が何度も繰り返される。そして、私は疲れ果てて帰宅するのだ。

 

 しかし、ある日、私はひとつのことに気が付いた。その日も私は甲氏の話を聞き流していたのだが、たまたま何かの気まぐれで、このように話を受けてみたのだ。

「そうですか、大変ですね。ですけど、それに比べて甲さんは偉いですね。しっかりしてますね。ちゃんとしてますね。」

 すると甲氏の表情が変わった。それまで不満の色に包まれていた甲氏の顔が、みるみる明るく強く輝きだしたのだ。そして、甲氏の話はどうなったか。愚痴は止まったか。いや、残念ながらそうではなかった。追い風を受けた帆船のように、むしろ甲氏の愚痴はみるみる勢いを増した。結局、私はその日も疲れ果てて帰宅した。

 そして、自宅で一息ついて私は気が付いた、そうか、それが甲氏の求めているものだったのだ、ということに。

 

 小さな光は、暗闇の中で輝きを増す、いや、暗闇の中でしか輝けない。甲氏は自分の人生を、自分の暮らしを、暗闇で飾り付けたのではないか。そして、甲氏の心に映し出された世界の中で、上司は怠け者になり、客は育児放棄、向かいの奥さんは精神病、近所の旦那は猟銃を持った認知症者になった。そんな甲氏の世界の中で、甲氏は唯一の輝く小さな光だった。そして甲氏は、あの私の言葉によって、そんな世界の中で誇りと自尊心を得たのだろう。自分の人生と暮らしを、あえて自ら不幸な暗闇に突き落として手に入れた小さな悦びだったのだ。

 私は、もう甲氏に会うことはないだろう。

 

 

2022年4月15日