漂う随想

心に遷り行く物事をこっそり書き留める。

(3)人の価値はどこに住んでいるかで決まる

 田舎町に住んでいると、色々な人に出会う。面白い人もれば、退屈な人もいる。計算高い人もいれば、大雑把な人もいる。都市の方が色々な人がいると思うかもしれないが、そんなことはない。

 人間には、長所もあれば短所もある。いや、長所も短所もないと言った方が正確かもしれない。ただ人間には人それぞれの特徴があるに過ぎない。背が高い人は良いバレーボール選手になれるかもしれないが、たぶんリンボーダンスは苦手だ。

 田舎に住む人も、都市に住む人も、個人個人それぞれの特徴があることに違いはない。それらは時に長所となり、時に短所となる。そして、短所は時に長所の何倍も速く人の耳に伝わる。

 それは田舎町なら猶更だ。ある人の何か一つの短所はすぐにその町の共通の話題となり、人々の皮肉な楽しみに饗される。だが、面白いことに、田舎町ではそんな人を簡単には排除しない。人々はよく知っているのだ、そんな彼にも長所があり、立派にこの町の役に立っているということを、貴重な仲間だということを。

 それに対して、都市ではどうだろう。ある人の何か一つの短所が、その都市の共通の話題になることなどない。都市に住む大多数の人は、そんな”ある人”になど興味はない。そうなのだ、当たり前のことだが都市には多くの人がいるのだ。そして”ある人”の代わりなどいくらでもいるのだ。役に立っているが短所のある彼の代わりは、他にいくらでもいる。だから、時としてほんの小さな簡単な理由で排除できる。

 例えば、一つの歪(いびつ)な器(うつわ)があったとしよう。100円均一ショップの棚に並んだ器の一つが歪んでいたら、それはただの不良品だ。廃棄処分されてしまうに違いない。100円均一ショップに個性など求められてはいない。一方で、ショーケースに飾られた歪な器は、茶の湯の名器かもしれない。その歪さは特徴であり、時に味わいや個性となる。

 ここで分かることは、人の価値はどこに住んでいるかで決まるということだ。だから、自分の価値が増す住処を探すべきなのだ。決して廃棄される不良品になるなかれ。

 人の噂も七十五日。75日後に廃棄されているか、それとも愛でられているかは、どこに住んでいるかで決まる。

 

 

2021年12月22日