漂う随想

心に遷り行く物事をこっそり書き留める。

(7)明るい彼女は暗かった

「私、本当は明るい性格なの」

 よく彼女はそう言った。日曜日の午後、久しぶりに訪ねた彼女の家で、私は彼女の話を聞いていた。冷えかけた私の煎茶を捨て、新しいお茶を淹れながら、彼女は静かに話し続けていた。私は、新しい熱々のお茶を気を付けて啜りながら、彼女の話をまた聞いていた。

「私、本当は明るい性格なの」

 しかし、彼女の話によれば、今は明るく振舞えない事情があるのだ。冬になると腰の痛みが強くなる。このごろ彼女の娘の態度が冷たい。古くなってきた家の修理にお金がかかりそうだ。国の仕組みのせいで今年もまた年金が減った。町内会の面倒な仕事をやめられない。昨日は誰とも話をしなかった。向かいの家の家族が悪口を言っていたらしい。そして彼女は、また私のお茶を淹れ代えてくれた。

 だから、今日の彼女は、お世辞にも明るいとは言えない。そして、またあの言葉だ。

「私、本当は明るい性格なの」

 

 そろそろ夕飯の支度をしなければいけない時間になったので、私は帰ることにした。

「また、いつでも来てね」

 彼女はそう言って、お土産まで渡してくれたが、お礼を言って扉を閉じた私は、きっと、またしばらく、この家には来ないだろう。

 

 私は、機嫌が良い時の彼女も知ってはいる。しかし、明るい彼女を見たことが本当にあったろうか。

 

 彼女にとっては、明るい気持ちでいられる時が自分の思う本当の自分であり、暗い気持ちにさせられるのは、誰か、何かのせいということらしい。だが、本当に明るい人というのは、どのような苦境に立たされても落ち込まずに上を向き、積極的な気持ちで自分の人生に立ち向かっていける人のことではあるまいか。そういう態度が全ての物事を変えていくことを、私たちは本当は知っているのではなかろうか。

 うまくいっている時に明るい気持ちになれるのは、当たり前のことだ。うまくいかない時にこそ、その人の心の輝きが試される。だから、自分の心のありようは、誰のせいでもない。それは常に自分の責任なのではないか。

 私たちの心の鏡は、自分自身の心の中にあり、世界を写し出す。私たちは自分の鏡に写し出されたものしか見ることができない。鏡を光らせるも曇らせるも、自分次第。鏡を磨こう。きっと世界は、どんなときも光り輝いている。

 

 

2022年3月29日